世界大百科事典(旧版)内の三左衛門堀の言及
【飾磨津】より
…姫路藩主池田輝政はここを城下の外港として重視し,1601年(慶長6)入江に向島を建設し,船役所・船置場を置き,船手(ふなて)(水主(かこ))を配置した。09年には城の外堀から南へ飾磨入江に達する運河(三左衛門堀)を通じようとしたが失敗した。15年(元和1)本多忠政の代に船場川が改修されて,以後城下から飾磨御蔵まで舟運によって蔵米が下されるようになった。…
※「三左衛門堀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」