世界大百科事典(旧版)内の三御所の言及
【大河内】より
…中世後期,伊勢大和国境付近の一志郡多気にこもった伊勢国司北畠氏が,大河内および田丸に平野部を管掌する行政基地をおいたため,政治軍事上の要地として史料上に散見する。とりわけ北畠満雅の弟顕雅を祖とする大河内氏が,いわゆる三御所(大河内,坂内,田丸御所)の一つとして永禄年間(1558‐70)までここに居住し,北畠本宗家と濃密な関係を維持したため,行政上はむしろ大河内が本城の観を呈した。1569年織田信長の南勢侵入に抗し,北畠具教・具房は大河内城に籠城したが,優勢な織田軍を支えきれず,信長の次男信雄の北畠氏継嗣を認めざるをえなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」