三方領知替(読み)さんぽうりょうちがえ

世界大百科事典(旧版)内の三方領知替の言及

【庄内藩】より

…しかし農村の疲弊ははなはだしく,38年農政改革を断行し,貸付米金を切り捨てる一方,高20石に1俵の与内米を新設し,飢饉に備えさせた。40年長岡転封(三方領知替)の幕命をうけたが,農民が激しい阻止運動を起こし,幕命を撤回させた。43年印旛沼疎水工事手伝いを命ぜられ,44年(弘化1)大山の酒屋主導の御料(天領)農民による庄内藩の預支配に反対する大山騒動が起こった。…

【矢部定謙】より

…堺奉行を経て1833年(天保4)大坂町奉行となり,天保の飢饉にさいして元与力大塩平八郎の意見をいれ,米価を調節し窮民の救済に当たり功績を挙げた。その後,庄内藩,長岡藩,川越藩の三方領知替の際には庄内領民の反対運動を取り上げて再審の上書を提出した。勘定奉行などを経て41年江戸南町奉行となるが,目付鳥居耀蔵(ようぞう)の暗躍により同年末失脚し,翌年矢部家は断絶,身柄は桑名藩預けとなったが,この処置に怒った定謙は食を断って憤死した。…

※「三方領知替」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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