三木秀綱(読み)みきひでつな

世界大百科事典(旧版)内の三木秀綱の言及

【三木氏】より

…飛驒の戦国大名。応永年間(1394‐1428)京極氏の代官として南飛驒竹原郷に下向,土着したというが,確実な史料上の初見は文明3年(1471)。出自についても京極氏支流多賀氏一族説など諸説ある。直頼のとき,永正末年益田郡の大半を攻略して萩原上村に桜洞城を築城,大永年間(1521‐28)には高山盆地に進出,本願寺門徒や高原の江馬氏,古川の姉小路氏などとの協調の上に飛驒での権力基盤を確立した。良頼,自綱(よりつな)の代には上杉氏,武田氏など周辺諸勢力と複雑に離合しつつ,1560年(永禄3)姉小路氏の名跡を継いで国司を号し,織田信長の美濃攻略以後は信長に好誼を通じた。…

※「三木秀綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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