世界大百科事典(旧版)内の三楊の言及
【楊士奇】より
…以後,永楽,洪熙,宣徳,正統の4朝に歴仕し,内閣に在ること43年,洪熙帝,宣徳帝の善政は楊士奇に負うところが大である。正統帝が9歳で即位し,太皇太后が摂政となると,同じく閣臣であった楊栄,楊溥(ようふ)とともにこれを補佐して〈三楊〉とうたわれた。しかし前代より権力を得てきた宦官(かんがん)はこのころより横暴となり,とくに1442年(正統7)以後は王振が実質的に宦官政治を始めたので,楊士奇は孤立の状態の中で没した。…
※「三楊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」