世界大百科事典(旧版)内の三河三ヵ寺の言及
【一向一揆】より
…松平(徳川)家康は,桶狭間の戦以後今川氏の支配下から独立して織田信長と結び,矢作川流域の西三河の領国支配に着手した。このころこの地域は三河三ヵ寺(佐々木上宮寺,針崎勝鬘(しようまん)寺,野寺本証寺)や一家衆寺院の土呂本宗寺などを中心に,商工業・運輸業者,農民,武士たちの強力な門徒集団が形成されており,家康家臣団の中にも門徒武士が多かった。家康と門徒は寺内町の特権をめぐる紛争を発端として激突し,反松平勢力の荒川,酒井,吉良氏なども一揆側に加わった。…
※「三河三ヵ寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」