世界大百科事典(旧版)内の三野国の言及
【美濃国】より
…つまり三野地方は,遅くとも4世紀半ば以前にヤマト勢力の傘下にはいり,その勢力が東国地方へ浸透するための後詰基地的な役割を担った。そしてこの三野国が大きく脚光をあびたのは,672年の壬申(じんしん)の乱であり,三野国味蜂間評(あじはちまのこおり)の湯沐邑(ゆのむら)が吉野(大海人皇子)方の挙兵根拠地とされ,また吉野方の全軍が和蹔(わざみ)(関ヶ原)に結集して攻勢に転じた。三野国の農民は吉野方の中核として,その勝利に貢献したのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」