世界大百科事典(旧版)内の三長三本山の言及
【本門寺】より
…一方,日朗は,鎌倉比企谷(ひきがやつ)の房舎を寺院化した長興山妙本寺に在住,これを弘通(ぐつう)と門弟育成の拠点としたので,本門・妙本両寺を主管したことになり,日朗以後も両寺一貫首(かんず)(住持)制がとられて近世にいたる。本門寺も日蓮示寂の霊場寺院として多くの末寺を抱え,日朗の弟子日伝による下総平賀の長谷山本土寺,妙本寺とともに,日朗門流=比企谷門流の中心である三長三本山の一つとして重きをなし,その教線を房総半島に伸張した。徳川家康の江戸開府により,江戸に近い本門寺に貫首が常住するようになっていっそう発展した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」