世界大百科事典(旧版)内の三陸縦貫鉄道の言及
【三陸海岸】より
…60年のチリ地震津波以降は,津波対策が本格化し,大規模な防潮堤の建設がすすめられた。1896年三陸大津波の復興策として計画された三陸縦貫鉄道の建設は,地域住民の悲願であったが,大正末に一部開通した八戸線をはじめ,以後大船渡線,山田線などが建設されたものの建設は進まなかった。80年余を経た1984年に第三セクター〈三陸鉄道株式会社〉によって北リアス線(久慈~宮古間)と南リアス線(釜石~盛間)が開通し,JR山田線経由で久慈~盛間の直通運転もされている。…
※「三陸縦貫鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」