世界大百科事典(旧版)内の下コーチシナの言及
【コーチシナ】より
…19世紀初頭ザロン(嘉隆)帝による国土統一が成った後も,ヨーロッパ人はこの国家全体をコーチシナと呼ぶのが一般であった。1862年サイゴン条約によって南部3省がフランスの直轄植民地になると,フランス人はこの地方を他省と区別して下コーチシナと通称した。しかし1870年から80年にかけて次第に中部をアンナン(安南)と呼ぶことが一般化し,コーチシナは南部に限られるようになった。…
※「下コーチシナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」