下久我荘(読み)しもこがのしょう

世界大百科事典(旧版)内の下久我荘の言及

【久我荘】より

…12世紀初めにこの地に久我家の別荘久我水閣があり,12世紀末に久我荘は源(久我)通親領となった。その後,上久我荘(久我新荘)と下久我荘(久我本荘)に分かれ,久我家領として戦国末まで存続。1396年(応永3)の上・下久我荘の検注帳,99年の下司名と考えられる成次名の検注帳があり,屋敷,藪林などを合わせて上久我荘は104町余,下久我荘は50町余,成次名は12町余が記載されている。…

※「下久我荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」