下津城(読み)おりづじょう

世界大百科事典(旧版)内の下津城の言及

【尾張国】より

…この時期,守護所は鎌倉街道沿いの下津(おりづ)におかれていた。下津城址と推定される地域から,近年多くの中世陶磁,漆製品,木簡などが発掘されている。 織田氏一族は,早くより実質的な領域支配者としての性格を備え,坂井氏のように斯波氏家臣として同列にあった者までも,自己の被官として組織化していった。…

※「下津城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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