世界大百科事典(旧版)内の下谷区の言及
【下谷】より
…そのほか武家屋敷も幾つか成立したが,この界隈は明治期まで大半が農村地帯で,文人墨客の隠棲地として著名であった。1878年の郡区町村編制法によって下谷区(東京府)が成立し,1947年には下谷区と浅草区が合体して台東区となった。最近の町名変更で行政上は下谷をつけた地名はなくなり,現在は上野広小路やアメ屋横丁の商店街・娯楽街,真源寺(入谷(いりや)の鬼子母神)の朝顔市などで知られる。…
【谷中】より
…その門前には感応寺表門前新茶屋町(俗称いろは茶屋)などの岡場所も発達し,遊客でにぎわった。1878年の郡区町村編制法によって,谷中地域に下谷,上野など周辺地域を合わせ下谷区(東京府)が成立した。1947年下谷区と浅草区が合併し台東区となる。…
※「下谷区」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」