世界大百科事典(旧版)内の不破万作の言及
【不破伴左衛門】より
…現行の〈鞘当〉の型は1823年(文政6)3月江戸市村座上演の鶴屋南北作《浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)》において固定し,花の吉原仲之町で寛闊出立(かんかついでたち)で現れた不破と名古屋の刀の鞘が触れ合い,ことば争いのはて,あわや喧嘩というところを留女(とめおんな)(または留男)が割ってはいり,無事にその場は納まるというもので,色彩と音調との様式美をたんのうさせる。 豊臣秀次の小姓として寵愛され,秀次切腹のおりに殉死した不破万作(伴作)という人物がいて,これが不破伴左衛門のヒントとなったとされる。不破万作は尾張の出身で,《太閤記》巻十七や,これを踏襲した古浄瑠璃《太閤記》によれば,1595年(文禄4)7月,秀次に先立って主君の介錯で切腹した。…
※「不破万作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」