世界大百科事典(旧版)内の且蘭県の言及
【貴陽】より
…歴史上,雲南,貴州方面の政治・軍事の要地で〈滇南(てんなん)の門戸〉と称せられたが,古くは,西南夷の地であった。前2世紀漢の武帝によって牂牁(しようか)郡がおかれ,少数民族の君長をもつ且蘭(しよらん)県の地となった。一方,貴陽周辺の清鎮・平壩(へいは)地域には漢代の墓が集中しており,漢族の影響も大きかった。…
※「且蘭県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…歴史上,雲南,貴州方面の政治・軍事の要地で〈滇南(てんなん)の門戸〉と称せられたが,古くは,西南夷の地であった。前2世紀漢の武帝によって牂牁(しようか)郡がおかれ,少数民族の君長をもつ且蘭(しよらん)県の地となった。一方,貴陽周辺の清鎮・平壩(へいは)地域には漢代の墓が集中しており,漢族の影響も大きかった。…
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