両国の花火(読み)りょうごくのはなび

世界大百科事典(旧版)内の両国の花火の言及

【花火】より

…48年(慶安1年6月),70年(寛文10年7月),80年(延宝8年7月)などに,幕府は鼠火,流星などの花火を町中で上げることを禁止する触れを出しているほどで,その流行がしのばれる。いわゆる〈両国の花火〉の起源については,1732年(享保17)全国的な凶作と江戸の疫病流行で多くの死者が出たため,33年幕府は慰霊と悪疫退散をかねて両国橋近くで水神祭を催したが,そのとき両岸の水茶屋が余興として献上花火を上げたのに始まるとも伝えられている。花火は元禄時代(1688‐1704)以後,江戸でしだいに豪華となったもので,夏には隅田川で規模の小さい茶屋花火が行われるようになり,また花火船があって,船遊山(ゆさん)の客の求めに応じて代金をとって花火を上げて見せるようになった。…

※「両国の花火」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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