中世ヘブライ語(読み)ちゅうせいへぶらいご

世界大百科事典(旧版)内の中世ヘブライ語の言及

【ヘブライ語】より

…パレスティナにおいてヘブライ語が日常の口語としての役割をアラム語に完全に譲ったのは,1世紀後半のことであろう。 以後の中世ヘブライ語Medieval Hebrewは,ちょうど中世ヨーロッパにおけるラテン語のように,各地に散在したユダヤ教徒を結ぶ第二言語として,アラム語,アラビア語,中高ドイツ語,ロマンス諸語などの影響を受けつつ,数千にのぼる新語を作り,宗教のみならず,哲学・文学・医学・自然科学など各分野で多くの著述を生んだ。13世紀以後ユダヤ教徒に対する迫害のゆえに文語としてもヘブライ語は衰退の道をたどったが,18世紀のヨーロッパに起こった啓蒙運動はユダヤ人の目を聖書ヘブライ語に向かわせ,これが口火となり,E.ベン・イェフーダ(1858‐1922)の献身的努力によって,ヘブライ語はパレスティナ在住のユダヤ人の日常言語として,しだいに復活していった。…

※「中世ヘブライ語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む