世界大百科事典(旧版)内の中国人排斥運動の言及
【オーストラリア】より
…1848年のカリフォルニアのゴールドラッシュは,ほとんど国家体制を確立していたアメリカにはそれほど影響しなかったが,オーストラリアのそれは比較にならないほど影響が大きかった。経済面以外での影響には,明がユリーカ砦の反乱に象徴されるアメリカ式共和主義と反英主義の高揚であり,暗が金鉱地への中国人鉱夫大量流入を契機とする中国人排斥運動(金鉱地では中国人鉱夫の方がはるかに多い所が続出し,同胞人女性を伴わない点でも中国人鉱夫は警戒された)であった。暗にあたる後者は,1855年のビクトリア植民地での中国人移民制限法決定以後,各植民地間首相会議の重要議題となり続け,ついに1901年のオーストラリア連邦結成,白豪主義政策の国是化(実務的には移民制限法で処理)を惹起した。…
※「中国人排斥運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」