世界大百科事典(旧版)内の中国管領の言及
【西国】より
…しかし《園太暦》観応1年(1350)11月16日条に〈西国寺社本所領の事〉とあるように,鎌倉期の用法もなお見いだされ,東国・西国意識は鎌倉公方と室町公方の対立など,長く尾を引きつづけた。 一方,室町幕府によって九州探題が置かれた鎮西と畿内との中間の地域として中国という地域呼称が現れ,1356年(正平11∥延文1)以降この地域で活動した細川頼之は〈中国管領〉とよばれている。この地域を一括してとらえる見方の淵源は,モンゴル襲来後,長門守護が長門探題といわれたころに求めうると思われるが,鎌倉期の西国はこのように分解し,室町期,関東・鎮西を除く諸国を道別にまとめる制規が見られる点(《武政軌範》)から,制度的地域区分としての西国は一応消滅した。…
※「中国管領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」