世界大百科事典(旧版)内の中国銭の言及
【セーニー】より
…タイの政治家,弁護士。王族の出身で,1924年イギリスへ留学,オックスフォード大学で法学を修める。29年帰国と同時に法務省勤務,後に外務省に移り,40年駐米大使に就任。第2次世界大戦中,日本と同盟を結んだ本国政府に反対し,抗日運動組織自由タイをアメリカで結成,指導した。戦後45年から約1年間首相をつとめ,敗戦によるタイの国際的地位低下の回復に貢献した。46年民主党結成に副党首として参加,68年に党首に就任するなど,軍部独裁的政治風土の中で約30年間一貫して政党政治を指導し,都市住民の支持を得た。…
【銭】より
…中世に入ると各種の中国渡来銭が日本に流入して渡唐銭と呼ばれ,鎌倉時代には宋・元の銭貨が,室町時代には明銭が主として用いられた。明銭の洪武通宝,永楽通宝,宣徳通宝などは中国銭のなかでも最も代表的なものである。中国渡来銭の流通が軌道に乗るようになると,室町時代には中国銭を形態のうえから阿堵(あと),鳥目(ちようもく),鵝眼(ががん)などと呼び,また使用の面から御脚,用途,料足などととなえるようになった。…
※「中国銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」