世界大百科事典(旧版)内の中央俱楽部の言及
【同志会】より
…第3次内閣が護憲運動に脅かされた桂は,新党結成に踏み切り,13年2月7日,みずから立憲同志会創立委員長となって宣言と綱領を発表した。大浦兼武の率いる官僚派中央俱楽部の全員33人に大石正巳,河野広中ら国民党の過半数をあわせ93人の代議士と,後藤新平,若槻礼次郎ら桂系官僚が加わったが,政友会の切崩しに失敗し,桂は議会を解散することなく2月11日総辞職した。同年10月の桂の病死後,政党内閣主義を否定する後藤新平ら一部官僚政治家が脱党,12月23日の結党大会で,総理に加藤高明,総務に大浦・大石・河野が就任した。…
※「中央俱楽部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」