世界大百科事典(旧版)内の中田関の言及
【栗橋関】より
…江戸時代,日光道中栗橋宿の利根川渡し場(房川渡(ぼうせんのわたし))に設けられた関所。通称中田御関所と呼ばれた。もとは奥州道中筋元栗橋に設けられ関東代官頭伊奈忠次の支配に置かれたが,1610年(慶長15)幕府老中の所管となる。その後栗橋の移転にともない関所も新栗橋に移され,31年(寛永8)関東郡代伊奈半十郎忠治の支配に移された。1792年(寛政4)から1869年(明治2)の関所の廃止まで幕府の直轄で,関所には20俵二人扶持を給された4人の番士が,一部に交代があったがいずれも世襲で勤めた。…
※「中田関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」