中都大興府(読み)ちゅうとだいこうふ

世界大百科事典(旧版)内の中都大興府の言及

【北京】より

…遼では幽州を南京(五京の一つ)または燕京析津(せきしん)府と名づけ,薊県を析津・宛平(えんぺい)の2県に分けたので,1000年余りも続いた薊県の名はついになくなったのである。遼・金(女真)両王朝の交替のとき,ここは一時的に宋の領土となり燕山府といわれたが,まもなく金の領有に帰し,12世紀には金の国都となって中都大興府と称せられた。このとき旧城郭が拡張され(1辺約5kmの方形),その中央に皇城,東北郊外(今日の北海公園)に離宮(西苑)が作られた。…

※「中都大興府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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