乗運空撮(読み)じょううんくうさつ

世界大百科事典(旧版)内の乗運空撮の言及

【光明寺】より

…1242年(仁治3年)奇瑞に対して,四条天皇から光明寺の勅額が下され,そののち浄土宗西山義の祖善慧房証空が入寺し,やがてその弟子で西山義西谷流の祖法興浄音が住してから同流の寺となった。元弘の兵乱によって荒廃し,また応仁の兵火にもかかったので,この期間のことは明らかでないが,1507年(永正4)15世乗運空撮の代に,後柏原天皇から西山義第一の寺であるから香衣を着して参内することを許され,16世舜空秀旭の代には,34年(天文3)後奈良天皇の勅願となり,紫衣の綸旨も受けた。しかしそののち寺勢は振るわず,82年(天正10)に明智光秀の兵火に焼失したが,徳川家康の外護もあって寛永のころまでには堂舎も復興し,1654年(承応3)には常紫衣を許され,江戸時代にはかなりの隆盛を示した。…

※「乗運空撮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む