世界大百科事典(旧版)内の九頭竜神の言及
【戸隠山】より
…【中村 三郎】
[民俗]
《戸隠山顕光寺流記》という縁起には,850年(嘉祥3)学門行者が飯縄(いいづな)山で修行した後に戸隠山を開いたことや,三院の由来と祭神,戸隠領の四至牓示(しいしぼうじ)のほか,三十三霊窟などが記されている。縁起にみるように三谷(三院)に分かれる戸隠山は,地主神である九頭竜(くずりゆう)神(本地大弁才功徳天)をまつる農業の守護神として信仰されたが,中世には戸隠三千坊と誇張されるほどの繁栄をみた修験道の山でもあり,これは近世にも継承され,文政年間(1818‐30)には山伏総人数133人,末寺32ヵ寺を抱えるとともに,著しく御師制度を発達させ,本坊―師家―配下の山伏という関係を軸として,中部,関東,東北と広範な信仰圏をもっていた。多数の信者を獲得しえたのは,修験道だけでなく,古来の農業神としての九頭竜神の霊験があわせ説かれたためである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」