世界大百科事典(旧版)内の二宮大饗の言及
【宴会】より
…8世紀には,唐,新羅,渤海の使節が来訪すれば,朝堂院において天皇出御のもとに宴が開かれるのが例であったし,《懐風藻》で知られるように,長屋王は自邸に新羅使節を招いて詩賦の宴を催している。年初に行われる二宮(中宮と東宮)大饗,大臣大饗などは,年中行事としての宴ではあるが,直属の臣下あるいは一族の高官を招いて開く宴であるから,一面では賓客に対するもてなしとしての性格をもっており,3夜連続して行うのを通例とする結婚の宴は,通過儀礼にともなう宴であると同時に,賓客へのもてなしの宴でもあって,後に述べる三日厨(みつかくりや)に通ずるところがある。 乏しい史料によって知られる在地,庶民の催す宴会としては,やはりまず農耕儀礼に基づく年中行事として,地域の共同体が行うものがある。…
【蘇】より
…《江家次第》などによると,大臣大饗(だいきよう)の際には,天皇から蘇と甘栗をつかわされる決りで,その勅使を〈蘇甘栗使(そあまぐりのつかい)〉と呼んだ。また二宮大饗の献立には蘇が加えられるのが例であった。しかし,このように重用された蘇であったがはたしてきちんと貢納されていたかどうかは疑わしく,815年(弘仁6),845年(承和12)の2度にわたり,貢蘇の期日を守るべき太政官符が出され,865年(貞観7)には貢蘇の期を違えた国司の処罰規定が定められている。…
【大饗】より
…内裏または大臣家で正月に行われた年中行事。二宮大饗,大臣大饗,任大臣大饗などがある。二宮大饗は,正月2日に二宮(后宮,太皇太后,皇太后,中宮をふくめた後宮と東宮)に群臣が拝賀した後,玄輝門の西廊・東廊で饗宴が行われた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」