于闐国(読み)うてんこく

世界大百科事典(旧版)内の于闐国の言及

【ホータン】より

…古来,〈崑崙の玉(ぎよく)〉などの名で呼ばれた良質の軟玉(ネフライト)の産地として知られ,またその絹,じゅうたんの生産も名高い。 于闐国の人口は,すでに前漢の時代に1万9300,後漢の時代には8万3000を数えたと伝えられる。法顕,玄奘(げんじよう)らがこの地を通過した5~8世紀には仏教文化の一大中心地として栄え,中国仏教にも影響を及ぼしたが,政治的にはしばしばエフタル,突厥(とつくつ),唐,吐蕃などの異民族の支配下に置かれた。…

※「于闐国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む