五・一六クーデタ(読み)ごいちろくくーでた

世界大百科事典(旧版)内の五・一六クーデタの言及

【四月革命】より

…この闘争は自然発生的であったが,李承晩退陣後の許政過渡政府,張勉政権下で進められた不正蓄財者追放などの改革に対して,より根本的な改革を求める民衆は,(1)自由と民主主義,(2)祖国の自主的平和的統一,(3)韓国経済の自立化の三つを課題とする反帝闘争へと運動を発展させようとした。しかし,これに対するアメリカの危機感を背景に,61年,朴正熙ら軍部によって起こされた五・一六クーデタにより挫折した。ここまでの約1年間を四月革命という場合もある。…

【大韓民国】より

…代わって成立した第2共和国では,李独裁体制への批判から,大統領権限を大幅に縮小した責任内閣制に転換し,李政権時代の野党(民主党)を基盤とする張勉政権(尹潽善大統領)が登場したが,四月革命を生起させた民衆のエネルギーは張政権の規制を乗りこえ,民主化と統一を求める運動は空前の高揚を示した。
[朴政権から全政権へ]
 こうして南北分断状況に新たな局面が開かれるかにみえたとき,61年5月16日に軍事クーデタ(五・一六クーデタ)が勃発し,軍人を主体とする朴正熙政権(第3共和国)が成立した。新憲法では再び大統領権限が強化され,しかも朴正熙は政権永続化を意図して69年には李承晩同様に大統領任期の3選禁止条項を改定した。…

【朴正熙】より

…以来,陸軍で主に情報,作戦を担当,60年第2軍副司令官となるが,陸軍本部時代に陸士8期卒の金鍾泌と知り合い,8期生を中心とする将校団を率いて,61年5月16日クーデタを断行し,彼らをいわゆる革命主体勢力とした。張勉政権に対する五・一六クーデタは,当初アメリカの反対を受けたが,尹潽善(いんふぜん)大統領の〈認知〉を得て成功,62年3月の尹大統領辞任後,大統領権限代行に就任し,以後18年に及ぶ独裁支配(李承晩政権は12年)をつづけた。63年の選挙で民主共和党から立候補して第5代大統領に当選。…

【大韓民国】より

…代わって成立した第2共和国では,李独裁体制への批判から,大統領権限を大幅に縮小した責任内閣制に転換し,李政権時代の野党(民主党)を基盤とする張勉政権(尹潽善大統領)が登場したが,四月革命を生起させた民衆のエネルギーは張政権の規制を乗りこえ,民主化と統一を求める運動は空前の高揚を示した。
[朴政権から全政権へ]
 こうして南北分断状況に新たな局面が開かれるかにみえたとき,61年5月16日に軍事クーデタ(五・一六クーデタ)が勃発し,軍人を主体とする朴正熙政権(第3共和国)が成立した。新憲法では再び大統領権限が強化され,しかも朴正熙は政権永続化を意図して69年には李承晩同様に大統領任期の3選禁止条項を改定した。…

※「五・一六クーデタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」