五京・九州制(読み)ごきょうきゅうしゅうせい

世界大百科事典(旧版)内の五京・九州制の言及

【新羅】より

…新羅の官僚制度を支えた丁田制(壮丁に一定面積の田地を支給する)は722年から始まるが,757年には早くも貴族体制を支えた禄邑(ろくゆう)制(禄邑を支給する)に逆もどりした。地方制度では685年に金城(慶州)を中心に,金官京,南原京,西原京,中原京,北原京の五京をおき,全国を九州にわける五京・九州制が完成し,そのもとに119の郡と290余の県が配備され,これらの郡県のもとにはいくつかの村があり,村は10ないし15の自然村落からなっていた。租・調などの徴収,兵役・労役の徴発は,新羅帳籍に見られるように自然村落を単位としていて,日本の家族単位とは異なったものであった。…

※「五京・九州制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」