世界大百科事典(旧版)内の井上皇后の言及
【桓武天皇】より
…光仁天皇には皇后井上(いかみ)内親王との子とする他戸(おさべ)親王があり,これが皇太子に立てられた。渡来人系の卑母から生まれた山部王は親王として中務卿となっていたが,772年井上皇后と他戸皇太子が位を追われ,非業の死をとげる事件が起こり,代わって山部親王が37歳で皇太子に立てられ,781年(天応1)即位した。ここに至るまでには,藤原氏の永手(ながて)・百川(ももかわ)らの策動があったとされる。…
※「井上皇后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」