世界大百科事典(旧版)内の京兆府の言及
【陝西[省]】より
…三国時代には関中は雍州に属し,南部の東半とともに魏の領土となり,西半は蜀の領土に入ったが,北部は匈奴(きようど)に占拠されて中国の支配から離れたのである。その後の分裂時代を経て隋が天下を統一すると,今日の西安市の位置に大長安城を作り国都として京兆府(けいちようふ)と称し,本省内には11郡を設けた。唐はこれを受けて都城を完成するとともに,本省の中部から北部を関内道とし,南部を山南道に所属させた。…
※「京兆府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」