世界大百科事典(旧版)内の京戸の言及
【京都[市]】より
…9世紀の段階における平安京の人口については決め手の史料を欠くが,宅地を班給されて京中に住んだ貴族をはじめ,課税が他地域に比して軽かった一般庶民,地方から徴発された課役民などをあわせ,10万人から15万人までの間であったろう。このうち左右京職(きようしき)によって戸籍に付された住民を京戸(きようこ)といい,その多くは,京外,ときには山城国以外の遠隔地に口分田を与えられた農民的存在であったが,口分田の耕営は不利な条件にあったから,農業生産を離れ,官衙や貴族の家政に関わるもの,東西市の市人をはじめとする商工業に従事するものなども,早くから現れていたと考えられる。また地方からの課役民には諸司厨町(しよしくりやまち)という宿所が用意された。…
【平安京】より
…官司制の衰微と運命をともにしたが,厨町のなかには中世でも官有地とされ,また厨町住人が官司の職掌を通して運輸や商工業の座を形成したことでも留意される存在である。 京中の民政に当たったのが左右の京職で,これにより編戸造籍された住民を京戸といい,京外に口分田を与えられていた。そこでこれを京戸田というが,遠隔地に班給されるものも多く,早くに衰退し,京戸は他に生業をもつことを余儀なくされた。…
※「京戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」