世界大百科事典(旧版)内の仙叟宗室の言及
【表千家流】より
…それとともに大徳寺の喝食(かつしき)として修行していた少庵の子千宗旦は還俗し,千家3世を継承することとなった。その後,宗旦は不審庵を中心とする本法寺前町の屋敷を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北裏に今日庵(裏千家)を建て,四男仙叟(せんそう)宗室とともに移り住んだ。ここに表千家と裏千家が成立した。…
【千宗旦】より
…1600年(慶長5)には少庵より家督を譲られ,本格的な茶会活動をはじめる。その後,後妻に迎えた宗見との間に三男江岑宗左(こうしんそうざ),四男仙叟宗室をもうけた。元和偃武(げんなえんぶ)の時代を迎えると,小堀遠州による〈きれいさび〉の茶がもてはやされるようになるが,宗旦は時代を逆行するかのように一畳半の座敷を構築して,侘茶(わびちや)の追求をはかる。…
※「仙叟宗室」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」