仲雍(読み)ちゅうよう

世界大百科事典(旧版)内の仲雍の言及

【呉】より

…句(こう)呉,攻呉とも書かれる。周太王の子の太伯と仲雍が,弟の王季に位を譲り,江南に行き,文身・断髪して蛮族の君となって建てた国という。春秋後期になって史上に活躍し,江蘇省蘇州に都をおき,一時は楚の都の郢(えい)(湖北江陵県)を攻めおとし,王夫差のとき南の越を屈服させ,北上して晋と覇を争うなどしたが,そのすきに越に攻められ,前473年夫差は越王句践に包囲され,自殺し,呉は滅んだ。…

※「仲雍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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