世界大百科事典(旧版)内の任那加羅の言及
【加羅】より
…しかし次にみるように,4世紀後半の加羅諸国は大きく発展するので,3世紀後半から4世紀中葉にかけて加羅諸国が成立したとみてよい。
[4世紀後半]
広開土王碑文によれば,400年ころのこの地方には,任那加羅(金海)や安羅(咸安)など多くの国(加羅諸国)があり,この2国が代表的な国で,侵入してきた高句麗軍に反撃するほどの強力な軍事力とかなり緊密な協力関係とがあったことが知られる。またこれらの加羅諸国は,倭(任那日本府説,北九州説,朝鮮南海岸地方説などあり)と協力して,高句麗,新羅と対立していた。…
【金海加羅】より
…朝鮮古代の加羅諸国中の有力国。別名は金官加羅,大伽耶,狗邪(くや)国,狗邪韓国,駕洛(から)国,任那(みまな)加羅,任那。現在の慶尚南道金海郡を中心とし,王都址の金海邑には多くの遺跡があり,早くから開けていた。…
※「任那加羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」