伊予西園寺家(読み)いよさいおんじけ

世界大百科事典(旧版)内の伊予西園寺家の言及

【西園寺家】より

…すなわち公経の男実有が一条家を,実雄が洞院家を,実藤が四辻(室町)家を起こし,公相の男実俊が橋本家を,実兼の男兼季が今出川(菊亭)家を起こした。また鎌倉時代に伊予国の知行国主を相伝したため,一流の公俊(実衡の子という)が東宇和郡に下向し河野氏の女をめとって松葉城におり,伊予西園寺家の祖となる。公俊は1379年(天授5∥康暦1)細川氏に攻められて敗死したが,その後裔実光は黒瀬城を築き,公高・公次・公宣・公広とここにいたが,1584年(天正12)長宗我部氏に攻められて下り,数年後に殺されて断絶した。…

※「伊予西園寺家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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