世界大百科事典(旧版)内の伊賀の乱の言及
【伊賀国】より
…このような伊賀惣国一揆も,1581年(天正9)9月織田信長の命によって侵入した織田信雄(のぶかつ)の軍勢によって滅ぼされ,伊賀国内の諸城館,寺社は灰燼に帰し,惣国一揆の存在を現在に伝える史料は,伊賀国にはまったくと言ってよいほど存在しない。【稲葉 伸道】
【近世】
1581年に織田信長が大軍を投入して平定(伊賀の乱),〈亡所〉と記されたほどの徹底した破壊は,農村構造にも大きな影響を与えた。以後,滝川,脇坂氏を経て,85年,豊臣秀吉により筒井定次が大和から伊賀5万石に移封され上野に居城を築いた。…
※「伊賀の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」