伊賀一宮(読み)いがいちのみや

世界大百科事典(旧版)内の伊賀一宮の言及

【敢国神社】より

…三重県上野市一之宮に鎮座。敢国津神(あえのくにつかみ)を主神とし,少彦名命,金山毘売命を配祀する。敢国津神は,崇神天皇のときに派遣されたと伝えられる四道将軍の一人で,阿閇臣(あへのおみ),伊賀臣らの祖大彦命のことといい,神社の北約1kmに大彦命の墓と伝承される前方後円墳があり,伊賀国阿閇郡の開拓神であろう。873年(貞観15)正五位下に叙され,延喜の制で国幣の大社,のち伊賀国の一宮とされる。中世,南宮菩薩とよばれ,近世藤堂氏が藩主として入国以来あつく崇敬し,藤堂高虎は1614年(慶長19)に107石余の黒印領を寄進,祭事も復興した。…

※「伊賀一宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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