世界大百科事典(旧版)内の伊賀同心の言及
【伊賀者】より
…1582年(天正10),当時上洛して泉州堺にあった徳川家康が本能寺の変に遭遇し,急きょ難をさけて領国三河に帰還する途中,その〈伊賀越〉に身辺警護の功があって召し出されたという由緒をもつ。このときに伊勢路まで供奉した者は直参に取り立てられ,鹿伏兎越(かぶとごえ)(伊賀越)まで供奉して途中から帰国した者200人は服部半蔵正成に預けられて伊賀同心と称し,のち百人組4組のうちの伊賀組や先手(さきて)の諸隊の同心となった。また彼らとは別に尾張で召し出された者があり,これらはもっぱら陣中で間諜に任じたという。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」