世界大百科事典(旧版)内の伊賀国分寺の言及
【伊賀国】より
…旧国名。伊州。現在の三重県西部にあたる。
【古代】
東海道の西端に位置する下国(《延喜式》)。当初は伊勢国に属し,680年(天武9)に4郡を割いて分国したと伝える。《和名抄》によれば,阿拝(あえ),山田,伊賀,名張の4郡18郷からなり,田数は4051町1段41歩。国府は上野市印代の東部に比定され,国分寺址はその約3km南の同市西明寺に残る。一宮は上野市敢国(あえくに)神社。律令制以前より大和南部の磯城,泊瀬から名張を経て伊勢に出る交通路が開かれていたが,平城遷都後は奈良から山城国相楽郡を経て伊賀の新居,柘植(つげ)を通り伊勢に向かう通路が重視された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」