世界大百科事典(旧版)内の伊賀惣国一揆掟書の言及
【伊賀惣国一揆】より
…戦国時代に伊賀の地侍層が在地領主権を守るために一国的規模で団結した組織。隣接する近江国甲賀郡の有力地侍山中氏に伝えられた文書(神宮文庫所蔵《山中文書》)に含まれる〈惣国一揆掟之事〉が唯一の史料。その掟書は11ヵ条で,他国勢の侵入には惣国一味同心して防戦すべきこと,侵入の注進があれば里々の鐘を鳴らし直ちに出陣すること,50~17歳のものは出陣義務があり,長期にわたるときは番編成にして交代し,在々所々で武者大将を指定し惣はその下知に従うこと,惣国諸寺の老僧は国豊饒の祈禱をし若い僧は出陣すること,諸侍の被官たちに里々で起請文を書かせ服従を誓わせること,忠節の百姓は侍にとりたてること,他国勢を引き入れたり内通したりするものは討伐しその所領を没収すること等々が定められている。…
【伊賀国】より
…惣国一揆は地域的な国人らの結合体“惣”を基礎単位としていた。神宮文庫所蔵の年未詳11月16日付けの〈惣国一揆掟之事〉と題する11ヵ条にわたる伊賀惣国一揆掟書は,16世紀後半,三好方あるいは大和国人と伊賀惣国一揆がまさに戦闘に入らんとする時点で作成されたものと思われ,一国の17歳から50歳までの侍,足軽を動員しようとした点など興味深い内容をもつ。このような伊賀惣国一揆も,1581年(天正9)9月織田信長の命によって侵入した織田信雄(のぶかつ)の軍勢によって滅ぼされ,伊賀国内の諸城館,寺社は灰燼に帰し,惣国一揆の存在を現在に伝える史料は,伊賀国にはまったくと言ってよいほど存在しない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」