世界大百科事典(旧版)内の伊那県の言及
【信濃国】より
…なかで松代藩は比較的早く勤王にふみきり,朝廷から信濃11藩の触頭を命じられ,北越奥羽を転戦して多数の死傷者を出した。1868年2月旧幕府領,旗本知行所は,天朝御料に編入されて尾張藩管轄となり,ついで伊那県になった。71年7月の廃藩置県で信濃国は旧藩の12県と伊那・長野両県の計14県になり,同年11月東北信が長野県,中南信と飛驒一国が筑摩県となった。…
【長野[県]】より
…江戸末期には松本藩,飯田藩,高遠(たかとお)藩,高島藩(諏訪藩),田野口藩(後に竜岡藩と改称),松代藩,須坂藩,飯山藩,岩村田藩,小諸藩,上田藩の諸藩が分立しており,木曾は尾張藩領で,そのほかにも天領,旗本領,寺社領などが入り組んでいた。1868年(明治1)伊那県が置かれて,尾張藩の所管となっていた旧天領,旗本領などを支配下に置き,翌年三河県を併合(1871年額田県に編入),70年には一部を割いて中野県を設けた。71年廃藩置県によって各藩は県となり(竜岡藩は直前に廃藩して伊那・中野両県へ分属),同年伊那,松本,飯田,高遠,高島の5県と高山県(飛驒)は筑摩県に,長野(中野県を改称),松代,須坂,飯山,岩村田,小諸,上田の7県は長野県に統合された。…
※「伊那県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」