世界大百科事典(旧版)内の会議法典の言及
【アレクセイ・ミハイロビチ】より
…彼はモロゾフを退陣させるとともに,士族および都市住民上層の請願にこたえて新法典編纂のために全国会議(ゼムスキー・ソボル)を召集した。49年1月にこの会議で採択されたいわゆる《会議法典Sobornoe ulozhenie》(25章967ヵ条)は,質量ともにロシア立法史上画期的なもので,皇帝の権威を明文化し,都市内の〈免税地〉を廃止するとともに,都市民を都市に緊縛した。また,債務奴隷制度について詳細に規定し,逃亡農民追及権を無期限のものとして農民土地緊縛立法を完成した。…
【モスクワ・ロシア】より
…1613年ロマノフ朝が成立し,ミハイル・ロマノフの時代に国家再建が進んだ。アレクセイ・ミハイロビチ帝の時代には,1649年の〈会議法典(ウロジェニエUlozhenie)〉によって農奴制が確立し,君主権が絶対化される一方,都市民やコサックの反乱,ラスコーリニキ(分離派)の発生をみた。続くフョードル3世の代にかけて行政の制度化・官僚化と西方文化の浸透が進み,ソフィア・アレクセーエブナの摂政期を経て,ピョートル1世のもとでロシア帝国に移行した。…
※「会議法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」