世界大百科事典(旧版)内の伶明音楽会の言及
【新日本音楽】より
…宮城作品のみならず以上の諸家の創作曲についてすべてこの名称でいうようになり,とくに明治以降,おもに大阪を中心として行われていたいわゆる明治新曲風の創作活動や,東京の山田流箏曲界で続けられていた古典的な手法による新作活動などとは,一線を画して区別されるようになった。 1927年には,以上の宮城,田辺,町田,中尾,中島が成和音楽会を組織,28年以降その会名で作品発表演奏会が開かれるようになったが,それ以前に町田が組織していた伶明音楽会をも吸収し,また全国的な演奏旅行も行った。その共鳴者も増え,十七弦その他の新しい楽器を含む編成上のさまざまな試みもなされた。…
※「伶明音楽会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」