佐倉相済社(読み)さくらそうさいしゃ

世界大百科事典(旧版)内の佐倉相済社の言及

【靴】より

…そして72年に軍靴の甲革の製作に成功したが,輸入品でまかなっていた底革が製造できるようになったのは87年になってからという。 幕末の混乱期,生活に困るようになった藩士を救済するために佐倉藩主堀田正倫が1868年に佐倉相済社を創設し,西村の養成した靴工の協力のもとに製靴業にたずさわった。このような手縫いの洋靴から機械製のものへと進展するのは,ようやく1902年(明治35)になってからで,西村の建議にもとづいて被服廠の靴工場や民間資本による日本製靴株式会社も発足した。…

※「佐倉相済社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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