佐竹泰峨(読み)さたけたいが

世界大百科事典(旧版)内の佐竹泰峨の言及

【佐竹義和】より

…江戸後期の秋田藩主。号は泰峨。義敦の子。1785年(天明5)11歳で9代藩主となる。有能な家臣を登用して藩政の立直しを実施した。92年(寛政4)産物方を設置して桑,楮(こうぞ),藍,蚕の生産を奨励し,中でも生糸の生産が高まって秋田畝織(うねおり),秋田八丈が生まれた。また95年に郡奉行を設けて勧農策,廃田再興策を実施した。1790年には後の藩校明徳館を設立し,多くの文人学者を集め育てた。みずからも書画をよくした。…

※「佐竹泰峨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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