世界大百科事典(旧版)内の倉敷県の言及
【岡山[県]】より
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[沿革]
近世には美作国に津山藩,勝山藩,備前国に岡山藩,備中国に岡田,浅尾,足守,庭瀬,松山,新見の諸藩と天領などが置かれた。1868年(明治1)美作国に鶴田(たずた)藩(旧浜田藩),備中国に鴨方,生坂の旧岡山新田藩と成羽藩が立藩し,天領を管轄する倉敷県が置かれた。翌年勝山藩は真島藩,松山藩は高梁(たかはし)藩と改称した。…
【小豆島】より
…そのなかにはたとえば〈塩浜・漁猟・船稼等精出相働,御運上も相増候様心掛〉とあり,島嶼(とうしよ)地域の人々の生活の諸様相とそれへの藩権力としての対応がうかがえる。 維新政府の発足によって1868年(明治1)5月に倉敷県が置かれ,天領であった東部3ヵ村はその管轄になる。そして71年の廃藩置県によって,それは丸亀県に合され,さらに丸亀県は高松県と合併されて香川県が設置される。…
【広島[県]】より
…江戸時代末には広島藩,福山藩に天領および豊前中津藩領の飛地があった。1868年(明治1)5月神石郡1村と旧天領の甲奴(こうぬ)郡12ヵ村が新設の倉敷県に編入され,71年の廃藩置県の実施に伴い各藩はそれぞれ同名の県となって,芸備両国は広島県,福山県,中津県の一部,倉敷県の一部に分かれた。同年11月の府県統廃合に際し,中津・倉敷両県下の甲奴郡は広島県へ移管され,それ以外の地域は福山県と合併して新置の深津県(1872年小田県と改称)となった。…
※「倉敷県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」