世界大百科事典(旧版)内の備中小倉織の言及
【井原[市]】より
…中世には井原荘,荏原荘など,近世には山陽道の七日市宿,高屋宿があり,市場町の性格を合わせもっていた。近世に綿花,藍が栽培されて広島県神辺(かんなべ)町とともに農家の副業として織物業が興り,備中小倉織として知られ,明治以後は工場制工業へ発達した。製品は備後絣(かすり),白ネル,小倉服地,デニムなど多様であったが,第2次世界大戦後,特に1965年ごろからデニムブームが起こるとこれに集中し,全国の約7割を生産していたが,他産地の伸びがあって,1996年度では10%,縫製品のジーンズは15%を占める。…
※「備中小倉織」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」