元亀・天正の争乱(読み)げんきてんしょうのそうらん

世界大百科事典(旧版)内の元亀・天正の争乱の言及

【一向一揆】より

…この場合,本願寺自身は命令を出さず,現地の有力寺院が一向一揆を指導した。 70年(元亀1)から80年(天正8)に及ぶ,戦国争乱の最後の死闘である元亀・天正の争乱は,徳川家康と同盟した織田信長と将軍足利義昭を結節点とした反信長勢力の対決であり,浅井,朝倉,毛利,武田などの反信長連合の中軸に石山本願寺一向一揆があった。一向一揆は大坂石山に籠城し,北陸,近江,紀伊などの門徒は石山救援活動を行う一方で,各地に蜂起して信長軍と戦った。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」