先祖株組合(読み)せんぞかぶくみあい

世界大百科事典(旧版)内の先祖株組合の言及

【大原幽学】より

…1842年(天保13)下総香取郡長部村に定着,村の改革に後半生を捧げた。1837年〈子孫永永相続〉なる共有財産をつくり,農民の相互扶助の基としたが,翌年,農業協同組合の先駆である先祖株組合を長部村ほか4ヵ村に結成させた。指導原理は独自の〈性学〉で,忠と孝,分相応論を柱とし,武士を理想化した考え方であった。…

【経世済民論】より

…ほぼ同時代の大蔵永常はリアルな農業技術者として,民に利を得させてはじめて為政者の利となることを主張し,尊徳の稲作中心の増強策に対し商品作物の栽培・加工を重視し,実践指導した。また大原幽学は1838年,日本における農業協同組合の先駆である先祖株組合を4ヵ村に結成させた。【塚谷 晃弘】。…

※「先祖株組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」